水循環の明るい水来(みらい)へ「清渓川(チョンゲチョン)復元(韓国ソウル市)」
清渓川(チョンゲチョン)復元(韓国ソウル市)
今回は過去に蓋掛けして、その上に高速道路を建設した為、
忘れ去られていた河川を昔のオープンな河川空間によみがえらせた事例をご紹介します。
清渓川(チョンゲチョン)は、ソウルの都心を西から東へ横切る全長約11kmの水路で、
流末は漢江(ハンガン)へ流れ出ます。
元々は自然の河川で、1394年ソウルが朝鮮王朝の都と定められて以来、中心部を流れる川として、
普段は水が少ないが一旦大雨が降ると洪水被害に悩まされる問題の川でした。
しかし、人口増加による水質悪化と洪水被害が頻繁に起きるという状況から、1958年~1967年にかけて
コンクリートで覆う覆蓋工事が行われ、さらに都市開発の進んだ1967年~1976年には、
総長5.8km、道路幅16mの高架道路が建設されました。
2002年のソウル市長選で「清渓川の復元」という公約を掲げて当選した
イ・ミョンパク(李明博)市長(後に大統領になりました)の意向により清渓川の復元と整備が実現しました。
事業は2003年7月から始められ、一度は地中に埋められた河川を再び地上に蘇らせるという前例を見ない工事は
注目を集め、市民に見守られながら約2年3カ月をかけて復元を果たしました。
「清渓川復元 ソウル市民葛藤の物語」日刊建設工業新聞社より転写
写真1 高架道路撤去前と撤去後のイメージ
1950年代、朝鮮戦争終結のころの清渓川は写真2に示されるように、川沿いにバラックが立ち並び、
周辺住民の生活排水で汚されて、汚い川になりました。
そこで、どこの国でも事例がありますが、汚いものに蓋をする蓋掛け工事が1958年から進められました(写真3)。
さらに、1967年より高架道路が作られ、清渓川の存在は完全に忘れ去られてしまいました。
写真2 川沿いのバラック
(清渓川博物館の展示模型)写真3 1958年~蓋掛け工事
(清渓川博物館の展示写真)
現在の清渓川の様子を写真4に示します。このように市民の憩いの場になっています。
しかしながら、雨水排水路の役割も兼ねているので、筆者が見学していた時、たまたま激しい雨が降り出し、
避難警報が出ると同時にみるみるうちに増水して写真5のような状態になりました。
平常時は、グリーンインフラと呼べるような市民の憩いの場を提供している清渓川が、実は洪水対策施設としても
活躍していることを垣間見た瞬間でした。
写真4 復元された清渓川
(筆者撮影)写真5 一瞬のうちの増水
(最下流端のドゥムル橋付近:筆者撮影)