水循環の明るい水来(みらい)へ「ドナウ源流から河口まで」
ドナウ源流から河口まで
ドナウ川と言うとヨハン・シュトラウスの「美しき青きドナウ」のメロディーを思い浮かべ、
優雅な気持ちになるのは私だけでしょうか?
30年近く前、ドナウ川を源流から河口まで旅行しようと言う企画が持ち上がり、
実際に旅することになりました。図1に沿川の主な立ち寄り先を赤丸で示します。
図1 ドナウ川流域と主な立ち寄り先(赤丸で示す)
ドナウ川は図1に示すように、ドイツ、オーストリア、スロバキア、ハンガリー、クロアチア、
セルビア、ブルガリア、ルーマニア、モルドバ、ウクライナを経て黒海に注ぐヨーロッパの
代表的な大河ですが、源流はどこでしょう?
ドイツのいわゆる黒い森のあたりが源流になるのですが、2つの説があります。
その1つ、有名な方がドナウエッシンゲンにあるフュルステンベルク公の館にある泉です(写真1)。
写真2は、この泉が河口まで2,840km の出発点であることを示す銘板です。
この泉が注ぐブリガッハ川がブレーク川と合流してドナウ川となります(写真3)。
もう1つの源流は、ブレーク川の上流黒い森の中にあります。
こちらの方が源流に似つかわしいのですが、山道を登るのが大変なようで、
訪れる人はフュルステンベルク公の館にある泉の方が多いようです。
写真1 フュルステンベルク公の館にある泉
写真2 河口まで2,840km を表示する銘板
写真3 ドナウ川出発点(左から:ブリガッハ川、右から:ブレーク川、奥行方向:ドナウ川)
ヨーロッパの大河ドナウも出だしは小さな小川です。
写真4は、源流から約20km下流のトットリンゲンを流れるドナウ川です。
既にそこそこの川幅の川になっています。
写真4 トットリンゲンを流れるドナウ川
更に100kmほど進むと大きな町ウルムに到着します。写真5はウルム付近のドナウ川です。
更に50km 下流にドナウにちなんだ名前の町ドナウヴェルトがあります。
この地点でヴェルニッツ川が合流します(写真6)。川幅は100m近くになっています。
写真5 ウルム市街を流れるドナウ川
写真6 ドナウヴェルト付近(むかって右よりヴェルニッツ川が流れ込む)
ドナウヴェルトから100km、古都レーゲンスブルクに到着します。
レーゲンはドイツ語で雨という意味だそうで、雨の良く似合う町との事です。
写真7は有名な石橋を遠くに臨むレーゲンスブルグとドナウ川のスナップです。
橋のたもとでは、この地域特産の焼きソーセージの屋台が美味しそうな煙を立てていました。
写真7 遠くにレーゲンスブルクの石橋を望む
レーゲンスブルクから更に100km、オーストリアとの国境近く、パッサウに到着します。
パッサウはアルプスから流入するイン川との合流地点として有名です。
合流地点は公園になっていて、両方の川が良く見える場所になっています。
写真8は、公園から撮影した写真です。左がドナウ川、右からイン川が流れ込み、奥行き方向に
ドナウ川として流れて行きます。イン川はアルプスからの急勾配の流れなので、
ドナウ川に比べて流れが速く、水質が異なるのか、水の色も白っぽい感じでした。
写真8 ドナウ川とイン川合流地点(パッサウ)
ドナウはパッサウを過ぎて、オーストリアに入り、約160km下流に有名なメルク修道院があります。
写真9はドナウ河畔の岩壁に聳え立つ壮大なバロック建築、メルク修道院の遠景とドナウの流れです。
ここから90km下流のウィーンに至る途中のクレムスまでの長さ36kmのヴァッハウ渓谷は、
その美しさから世界遺産に登録されています。写真9は既にヴァッハウ渓谷に入っています。
写真9 メルク修道院とドナウ川
ウィーンでは、昔からドナウの洪水に悩まされています。
1850年頃から本格的な治水工事に取り組み始めています。複雑な何本もの支川を一本の本流に付け替え、
残された支川は埋め立てたり、運河や三日月湖として切り離す大規模な土木工事です。
この工事は1870年から5年の歳月を掛けて行われました。
写真10は、三日月湖として残されたウィーンのアルテドナウ地区の風景です。
人々の憩の場所として使われています。
写真11は、残されたドナウ本流と新運河です。遠方にウィーン市街が広がっています。
写真10 Alte Donau 地区(旧ドナウ川の三日月湖)
写真11 ドナウ川と手前の新運河(遠景はウィーン市街)
ウィーンから船でハンガリーの首都ブダペストに向かいます。
途中、ドナウ川がスロバキアとハンガリーの国境を流れている地域があります。
実はこの地域が国際紛争の火種になっていることをブタペストに着いてから、ハンガリーの役所の人から知らされました。
実際に、現地を案内して頂き、問題となっている地下水低下の現状を視察しました。
原因となっているのは、1992年にスロバキアが完成したガブシコバダム(写真12)です。この写真は、船でハンガリーに
向かう途中に撮影したものです。このダムは発電用で、下流側の水位を16m下げることにより、発電落差19mを確保しています。
この水位低下が、ハンガリー側の地下水位の低下を招き、周辺の動植物の生息環境に悪影響を及ぼしていると指摘されています。
1970年、両国は水力発電、治水対策などを目的に、ドナウ川に2つのダムを建設する協定を交わしています。
スロバキアは「ガブシコバダム」、ハンガリーは「ナジュマロシュダム」をそれぞれ開発することになりました。ところが、ハンガリーの
ナジュマロシュダムは、ガブシコバダムの下流に位置し、発電効率が悪く、また地下水位の低下による環境破壊が問題視されるようになり、
結果的にハンガリー政府はダムの建設中止との結論に至り、スロバキアに対してもダム休止を訴えました。
しかし、この時点で、ガブシコバダムは90%完成しており、スロバキアはハンガリーの申し出を受け容れる訳にはいきませんでした。
その後の交渉は平行線を辿りましたが、1992年、ハンガリーは紛争問題の裁定をオランダのハーグにある国際司法裁判所に委ねました。
その後、国際司法裁判所は両国に罰金の支払いを命じる判決を下しているとの事です。
写真12 ドナウ川にかかるガブシコバダム発電所遠景(スロバキアが1992 年に完成)
ハンガリーの首都、ブダペストは、ドナウ川を挟んで、山側のブタ地区と平地側のペスト地区に
分かれます。
写真13は山側のゲッレールトの丘から対岸のペスト地区の市街と議事堂を望む眺めで、
ドナウの真珠と称されるにふさわしい美しさです。
写真13 ドナウの真珠、ブダペスト
一行は一気にルーマニアの首都ブカレストに入り、河口の黒海を目指します。
写真14は、既に河口が近づいていることもあり、ブカレスト近郊を滔々と流れるドナウ川です。
川幅は優に1kmはあるでしょう。
写真14 滔々と流れるドナウ川
最後の宿泊地は、トルチャです。
ここからスリナ水路を通って黒海に出ることが出来ます(写真15)。
この辺りは細かな水路が縦横に走り、デルタを形成しています。
デルタには無数の湖や沼地があり、魚類、鳥類、動植物の宝庫となっています。
特にペリカンが有名です。
ドナウデルタはドナウ川の最下流域で、黒海に面してモルドバ、ルーマニア、ウクライナの
国にまたがる欧州最大の湿地帯と言えます。
デルタを経て、遂に下流端の黒海に至ります(写真16、写真17)。
写真15 日の出前、朝靄のスリナ水路(トルチャ出港)
写真16 河口付近のスリナ水路(石積の向こう側は黒海)
写真17 ドナウ川河口(出口は黒海)